"恋の応援モテッツ"というカードの話

珍しくゼクスの話をします。

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自分はこのイラストが一番好きです。

皆さんご存知だと思いますが、この"恋の応援モテッツ"というカードはとても強いカードです。

ですが、自分はこのカードが広く使われるようになってしばらく経った頃からずっと思っていることがあります。

 

みんなこのカード過大評価しすぎじゃね?ってことです。

 

別にみんながみんなそうだと思いませんし自分の評価が正しいと思ってるわけでもないですが、これが自分がよく感じていることです。

八千代ベインの頃など以前は明らかにオーバースペックであり、現在でもちろん強いカードであるというのは間違いないと思っています。

その上で、自分の個人的な評価が明らかに周りよりも低いと以前から感じています。

こういう話は言語化することに意味があるかなーと最近思ったのでこいつについてなんか書くかって思ったので書きます。

 

モテッツってどんなカード?

まずは基本スペックです。

 

ゼクス - IG
3/白/エンジェル/4500
[自]【有効】スクエア【誘発】このカードが登場する。
【効果】あなたのデュナミスにある[ウェイカー]を1枚選び、表向きにしてよい。
[Lv]ウェイカーLv2(あなたのデュナミスに表向きの[ウェイカー]が2枚以上あると有効。)
"[自]【有効】スクエア【誘発】このカードが攻撃する。
   【効果】デッキをシャッフルし、1点回復する。あなたのライフを見て、
       その中にあるカードを1枚選び、手札に加えるかチャージに置く。"

 

ライフというなかなか触りにくく、他と干渉しない領域からアドバンテージを得る。

それも手札かチャージと還元先も選べる破格のスペックです。

それだけでなくライフを見るということはその後のゲームプランの決定に寄与し、枚数のアドバンテージだけでなくプレイの精度も高めます。

当然見たときにライフが強ければ強気にゼクスを前に出していけますし、弱ければラストターンを見極めて勝負をかけるタイミングも間違えにくくなります。

最強に見えてきましたね。実際強いです。

では、過大評価とはどういうことなのか。

 

モテッツは書いてあること以上の働きはしない

そういうことです。

モテッツを使った後のライフは別に強くないです。

山上から1枚置いたやつとライフが1枚入れ替わったところで大した違いはありません。

連打すればどんどん質が上がっていくこと自体は間違っていませんがそれですら大したことはないのです。

アイコン持ちがモテッツの効果でライフに埋まるというのはその時点でIGをヒットさせることと同義であり、当然ながらライフが強くならないことの方が確率が高いのです。

相手がIGヒットした時に「うわ強www」などと言ってしまう方がいますがこういった人たちは「モテッツ〇回も使ってるのにライフ弱すぎ」などと言っていませんか?

「うわ強www」と言っていることと同じことをモテッツに要求しているという自覚はあるのでしょうか。

なんなら欲しいカードを探しつつライフが強くなるというIGヒット以上のことをモテッツに期待していないでしょうか。

試行回数が増えるんだから云々という意見があると思います。その通りです。

試行回数が増えるということは試行回数が少ない状態と比較して期待値が上がるというだけであり、だいたい2,3枚に1枚が当たりということ自体は変わりませんが。

これが自分の言う「モテッツに対する過大評価」のひとつです。

モテッツは書いてある以上の働きはしません。

本来なら触れない領域にアクセスし誓いイベントのようなキーカードを探す、ライフを把握しゲームプランを決定する、公開領域を広げる、モテッツ単体ではこれ以上のことは起こりません。

また、この過大評価で問題となるのは相手がモテッツを使っている場合にライフを取ることに対して過剰に慎重になってしまうことです。

「相手がモテッツを〇回起動しているからライフ強いだろうな」は、実は根拠としてかなり怪しいです。

「相手がモテッツを起動してアイコン持ちのカードをチャージに置いた」や、「モテッツ起動後に前寄りなプランを遂行してきている」が正しい判断基準となるべきです。

さらに「モテッツ〇回起動してるのにキーカード引けねー」という状態、気持ちはわからなくもないですが、モテッツ2回目以降の起動は1ドローと同義なんですよね。

紅葉狩りから欲しいカードが落ちてくれて拾うよりも低い確率ですが本当にそこに期待することは正解だったのでしょうか。

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嘆いてるだけならまぁいいかもしれませんが本来そんなところに賭けるべきではなく他のアクションにリソースを使うべき局面だったのかもしれません。

そのキーカードを何が何でも引かなければならなかったなどの事情もあるかもしれませんし、山に欲しいカードが何枚あるか、使えるリソースやエクストラのプレイ権などで変わりますが2枚戻して2枚引く青ウェイカーのプレイの方がキーカードにアクセスできる確率は高いことを考えるとかなり怪しいのではないでしょうか。

発言の一貫性について言及したいわけではなく(それ自体も言われてる側は不快なので良くはないと思いますが)、そういった考えを持ってプレイしていることから間違った選択肢を取っているかもしれないという事に気付いているんだろうか?ということです。

もうひとつ過大評価であると感じている点はモテッツが本当にそのデッキに必要か?というデッキに採用されている点です。

白、そしてアッパーを無理なく採用できて3コスト以下のゼクスを踏み倒す動きがあるならば問題なく採用できるでしょう。

現代ゼクスに置いてキーカードといえば主に誓いイベントだと思います。

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勿論これを探すためにモテッツを用いることは何一つ間違っていません。

チャージを作れるので誓いイベントとそもそもの相性がいいですしね。

ですが昨今はそれぞれ自分の得意な領域から誓いイベントを回収する手段が配られていることが多いです。

さらに強力なVBや非アッパーのカードも増えておりハイウェイカー時代のようにアッパー16枚は標準装備ではなくなっています。

そんな中わざわざ無理してモテッツを採用する必要があるのでしょうか。

チャージを与えたくないから破壊以外の除去を持つゼクス中心としたデッキなどでモテッツが入っていると疑問が湧きます。

当然その人なりの考えがあるのかもしれませんし、否定する気はありませんがキーカードへのアクセスの効率だけでいえば他にもあるという話です。

そしてモテッツは遅いデッキには合わないという点もあります。

1回目のモテッツは序盤にしては破格の広い選択肢が提示されますがこれはライフが減れば減るほど狭まります。

ライフが減れば選択肢が狭まり、フィニッシュが遅いデッキではアタックを介すことはデメリットになり得る。

先ほども書きましたがアッパー16枚が基本でない以上、モテッツのライフの枚数=選択肢の数とレベル要求の低さという強みは以前より薄まっています。(ドラゴンアッパーなどの登場でレベル2であること自体の価値は上がっているという見方もできますが)

これらのことを受け止めた上で採用するべきです。

 

おわりに

モテッツは強いです。

ですが過大評価してプレイの精度を下げたり構築を歪めたりしないようにしましょうという話です。

あとは漠然と強いってなるカードについて1回ちゃんと考える機会ってあるといいんじゃないかなみたいなのもあります。

色々書きたいことはあるんですが長々と書くと脱線していくのでこのへんにします。

どう思うかは皆さん次第なので一つの意見として受け取ってもらえるとありがたいです。

一つのカードについての考察とか読むのが好きなので上手男が記事を書いてくれると嬉しいです。

おわり